佐藤 康貴 (Kohki Sato) 初代彫影 (HoriKage)
小さい頃から手先が器用で、絵や工作、書道が大好きだった。
でも、ソロバンはきらい。
自分で何かを創る喜びは、物心つく頃には分かっていたような気がする。
戦争から生還した祖父、漁師の祖母、消防士の父、日本舞踊家の母という漁師家業の家に生まれ、
何不自由なく健康に育った。野球と自転車と釣りに明け暮れた子供の頃、家にいた記憶は少ない。
岩手の大自然に囲まれて育った、3人兄弟の次男坊。
中学校卒業後、本格的に刺青へ興味を持ち、自己流で勉強を始めたが挫折。
独学の難しさや、自分の考えの甘さを痛感して、弟子入りへの憧れを抱くようになった。
背中に”昇龍”を入れたのはこの頃で、自分にとっては全てが衝撃的だった。
昔から機械いじりが好きで、自分達で組み立てたバイクによく乗っていた。
今となっては、その頃の経験がタトゥーマシンのビルディングやセッティングに大きく役立っている。
彫師になろうと思ったきっかけは、”かっこいいから”。
初代彫龍氏(神奈川県湯河原町 Speedy's Tattoo Studio)に師事し、
'96年から約3年の内弟子期間を経て、初代彫影を襲名。
住み込み修行中、師匠のオヤヂネタについていけず、”絶対明日出て行こう”と何度も決心した。
その後は、宮城県仙台市にて約2年間の修業を重ね、念願の独立に至る。
5年間の修業を経て師匠のもとへ戻り、今までの自分を振り返ってみたとき、先生と師匠の偉大さや関係者の方々からの協力の大きさにようやく気が付いた。
手前勝手だが、自分の成長が唯一できる恩返しと考え、その後はがむしゃらに歩み始めた。
'01年からは、渋谷パープルロータス (Purple Lotus) にて活躍。
オープニングスタッフとして在籍し、数多くのお客さんに恵まれ、現在のスタジオの基礎を築いた。
この頃からタトゥーイベントなどに多数参加し、各種メディアにも取り上げられ、多忙な毎日を送っていた。
でも、そんな自分に違和感を感じ始めていた頃でもあった。
自分がタトゥーを彫る機械なのか、人間なのか、アーティストなのか、
よく分からなくなる程の忙しさから自分を解放し、じっくり腰を据えて彫りたくなった。
アートとは?職人とは?タトゥーとは?
そんな問いが常に絶えず、答えも見つからずに苦しかった時期でもあったが、
ゆとりのある人間味溢れたスタジオを目指して、スタジオ設立を決心。
'03年、現スタジオのリンケージ (Rin-kg) をオープン、はじめてのオーナー。
アーティストが溢れる街、代官山を拠点に活動を始める。
これを期に、国内・海外タトゥーコンベンションに積極的に参加し、受賞歴も多数。
国内メディアへの出場は控えているが、海外からのオファーは今なお増え続けている。
人間性、ゆとり、スキル、スピード、クオリティー、衛生管理など、
すべてを根本から見直して、安全で楽しい、洗練されたタトゥーを創り出す。
職人として果たすべく責任と技術は当然ながら、常に次の
ステップを見据えている。
どんな時でもチャレンジ、そして経験し、得る知識と技、
これからもずっと大切にしたい。
”幸せ”や”充実”は、チャレンジャーにのみ与えられる最高の
ご褒美と信じている。
固定観念やスタイルは、時に自分やクライアントを束縛する
強力な鎖に化けてしまうが、心の平穏としっかりとした技術
ベースがあれば、何でもできると本気で思っている。
これから自分がどう発展するのか、とても楽しみでしょうがない。
タトゥーアートにおいても、高次元での”バランス”は特に重要視している。
心と技とデザインの三位一体。
自分を”ジャンル”や”スタイル”に閉じ込めることなく、自由に本気で遊び続けるためにも、
全てを受け入れられる優しさと柔軟性が欲しい。
それを”ゆとり”と自分は解釈しているが、そのために必要な努力はこれからも続けていきたい。
ありのままでいて、無害な自己満足、これほど手が付けられず、素晴らしい者はない。
何が真実で、何が嘘か、当たりかハズレかは正直どうでもよい。
ただ明日の自分は、自身で創り出しているのは認めてもいいだろう。
そこには、肯定も否定も必要意味がなく、”どうなりたいか”の希望しかない。
否定は満足感以外何も生まないが、自分に無理な肯定もまた、一時的な嘘でしかない。
希望に頼って生きるのはそんなにいけないことだろうか?
タトゥーとは、”希望”の代名詞だと思っている。
彫師が彫師としての責任を考え、実践し、手本となる。
これはとても重要なことで、今後のタトゥー・ピアス業界に影響すると考えている。
誰もが自分を大切にするように、自分の周りや環境にも敬意を払える人間になりたい。
これからも楽しむことを忘れずに、無邪気なまま集中したい。

ありがとう
KOHKI
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